平成が終わりを告げようとしている今、
もしかしたら「ドラ猫」という言葉がピンとこない人もいるのでは?
「ドラ猫」は、国民的アニメの歌詞にも出てくるので「聞いたことはある」
「お魚をくわえて逃げていく悪い猫でしょ?」というイメージ?
じゃあ、悪いことをするのが「ドラ猫」でしないのが「野良猫」?
目次
野良猫とドラ猫の違いは?「ドラ」を漢字で書くと?
野良猫とドラ猫の違いは?
家にある国語辞典を使って調べてみると
野良猫:人にかわれていないネコ
と、しっかりと言葉や意味が載っていましたが
「どら猫」は載っていませんでした。
そこでネットで調べてみると
どら猫:さまよい歩いて、盗み食いなどする悪い猫。
と、意味が出てきました。
「野良猫」と「ドラ猫」の共通点は、どこの家庭にも属さない点ですよね。
よそ様の庭でまったりお昼寝をしているのが「野良猫」で、よそ様のゴミをあさったり盗み食いして悪さをするのが「ドラ猫」というイメージがあります。
「あ、かわいい」と言ってもらえるか、「おい、あっちに行け」と言われるか。
良い猫か悪い猫かで分類されているような気がします。
「ドラ」を漢字で書くと?
ところで、「野良猫」は漢字があるのに、「ドラ猫」の「ドラ」には漢字はないのでしょうか?
漢字があればその違いもはっきりするような気がしませんか?
同じ「ドラ」仲間で「ドラ息子」だったら漢字で書くとどうなるのか。
・銅鑼
金属製の円盤のようなもので、バチで鳴らします。
全長100m以上の船舶の船尾には必ず装備されていて、船首にある鐘と同時に鳴らすことで、濃霧等で視界が悪い時その船の大きさを知らせるためのもの。
その「鐘をつく」から「金が尽く」=「金がなくなるほど使ってしまう」ということで、家のお金を使ってしまう“ドラ息子”と使われるようになった説。
・道楽
ただ楽しむだけなら良いけれど、熱中しすぎて散財し家庭に支障をきたすほどになった人を「道楽者」「道楽息子」と呼んでいたので、そこからちょっと訛って「ドラ息子」と使われるようになった説。
「ドラ」に漢字を当てはめるとしたら、このどちらかではないかという説が有力ですが、あくまでも「ドラ息子」の場合ですよね。
ドラ猫とドラ息子の「ドラ」の意味は一緒?
「ドラ息子」に当てはまる漢字から考えると、猫はお金を使いまくることはないし、派手に遊びまくって仕事もしないということはないけれど、「ドラ息子」は悪い息子のことを言っているので、大きな意味としては「ドラ猫」も悪い猫なので同じ?と思ったら、実は「ドラ猫」の「ドラ」が「ドラ息子」から付けられた呼び方のようです。
自由気ままに遊び、お腹が空いたら人の家に上り込んで食べ物を盗んでくるその姿が、江戸時代に生まれた「ドラ息子」と重なり、悪さをする野良猫がドラ猫と呼ばれるようになったのが事実のようです。
なんだか「ドラ」って昭和的なイメージがあると思っていたら、さらに古い江戸時代のものだったんですね。
昭和の時代には「野良猫」も「野良犬」もたくさんいました。
平成の時代には「野良猫」はいても「野良犬」はいません。
そして、どちらにも「ドラ犬」はいません。
野良猫も飼い猫も家の外を歩いていれば区別がつかない時代があったからこそ、さらなる区別の意味で悪さをする「ドラ猫」という言葉が定着したのかもしれません。
そして、それはずる賢い、すばしっこいというイメージから犬より猫につけられたのかもしれませんね。
野良猫・ドラ猫は英語に変えるとわかりやすい
野良猫って、
・平成風にいうと“どこの家にも所属しないフリーの猫”
・昭和風にいうと“飼い主がいない野生の猫”
そんな風に考えていたら、
・ホームレスキャット(野良猫)
・ストリートキャット(ドラ猫)
という英訳をみつけました。
なんだか、しっくりきませんか?
これだと、良い・悪いで区別するより雰囲気で区別しやすいような気がします。
新年号での「ドラ猫」の存在
野良猫とドラ猫。
同じ自由な生き方をしている猫なのに、不良か不良じゃないか、みたいに差別をされているみたいで、ちょっとかわいそうな気持ちになりますが、今の環境では家の中からお魚を盗むことなんて無理だし、ましてや、店頭からくわえていくなんて考えられませんよね。
さらに、野良猫にエサを与える人が増えているということもあり、「ドラ猫」と呼ばれる野良猫はすでに減少しているのではないでしょうか。
昭和から平成になって野良犬がいなくなったように、平成の次の世代では「ドラ猫」がいなくなって「野良猫」と総称されるようになっているかもしれませんね。
それとともに、野良猫問題が深刻化しているようですが。